極東ロシア旅行記 - 1 ウラジオストク

もう2ヶ月も経ってしまったのだが、9/24から29まで極東ロシアに行ってきた記録を認めておく。 

あくまで主目的はOomph!のライブ撮影ではあったのだが、初めてのロシア旅行ということで可能な限りいろいろと観ることにした。

行くことは3月の時点で決まっていたので、それまでにロシア語がそれなりに使えるように…といろいろ参考書を買い込んだものの、怠け者なので結局簡単な質問ぐらいしか習得できなかった。

 

Дайте Апельсиновый сок オレンジジュースをください

Счет, пожалуйста. お会計をお願いします

Спаси́бо ありがとう

Где Fesco-Hall? Fesco-Hallはどこですか?

Можно фотографировать?  写真を撮って良いですか?

 

実際に口に出して言えたのはこのぐらい。もうドキドキである。

 

さて、まずはВладивосток - ウラジオストクへ。

来年にはANAが直航便の就航を発表したが、現時点ではまだS7と言う聞きなれないロシアの航空会社しか飛んでいない。

ロシアの航空会社というとチャイナエアに次いで安く数々の噂話が飛び交うアエロフロートのイメージが強くなんとも不安な気持ちになったが、機体は新しそうで特に怖い思いもせずに済んだ。

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S7の機内から

26日はガイドさんに1日市内観光をお願いした。

 

寒いのだろうと思いつつも連日の日本の重苦しい暑さからなかなか想像することができず比較的軽装でやってきたが、お天気に恵まれたこともあってかTシャツ1枚で過ごせる良い気候であった。歩くと少し汗ばむほど。

 

8月は40 2月は-35度と非常に寒暖差の激しい気候らしく、5,9月は過ごしやすいとのだとか。

冬は寒いけれど雪はほとんど降らないとのことでそれもなんだか不思議な感じ。

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町を見下ろすВидовая площадка «Орлиное гнездо» - 鷲の巣展望台

昔は実際に鷲が巣を作っていたらしい。

ウラジオストクは160年とまだ若い都市。開拓当時はまだ馬車の時代でこんなにも車が一般的になるとは思われていなかったので道が狭く、しばしば渋滞に苛まされる。

地下水が豊富なので地下鉄はなく、地下駐車場もないので路駐で狭い道がさらに狭くなるという悪循環のようだ。

 

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高層な建物も散見されるが、なんだか牧歌的な雰囲気

バスなどの公共交通機関もあるようだが、ウラジオストクの人たちは車好きだそうで路線は減る一方とのこと。一家に複数台車があるのも珍しくないそう。

そしてその多くはTOYOTAなどの日本車で、日本のナンバーをそのままにしている車や、なにがしかのお店の名前が日本語で記されたままな車が散見される。

余談ながらプーチンがロシア国内のすべての車を左ハンドルに統一しようとしたら、日本車の多いウラジオストクを中心にデモになり法制化を断念したのだとか。

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Кирилл キリル と Мефодий メフォディ

 

こちらはスラヴ系言語で用いるキリル文字の原型となるグラゴル文字を作ったКирилл キリル と Мефодий メフォディの像。

キリル文字はローマ字を習得しているとнだのрだの、はたまたяやиなどまるで暗号のように感じるが、ギリシャ文字から派生しているとわかると納得できるところもありなかなか興味深い。

一通り読めるようになってはおいたので、滞在中簡単な単語や固有名詞なら読むことができて楽しかった。

Почта банк 置き換えると Pochta bank ああ、郵便銀行ね。

Aптека は Apteka 薬局(ドイツ語でApotheke)か、という感じ。

 

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潜水艦С-56 博物館

次は潜水艦С-56博物館へ。

ちなみにСはキリル文字のСなので、アルファベットに置き換えるとSである。ややこしい。

艦隊が継ぎ接ぎだらけなのは戦争によるものだけではなく、わざと穴を開けてそれを補修する訓練を戦後にしていたからとのこと。

潜水艦の中には実際に入ることができる。

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艦内図

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艦内手前の展示室には様々な資料が

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родина мать зовет! - 祖国が呼んでいる!

実際の若者たちは言われなくとも自ら身分証の生年を徴兵年齢に達するように書き換え我先にと戦争に参加したがったので、このような力強いプロパガンダポスターで徴兵を促す必要はなかったらしい。

 

展示室を抜けると当時のままの設備を見ることができる。

 

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以前フィンランドのスオメンリンナ要塞でも似たような潜水艦を見たことはあるが、実際に使われていた計器や魚雷を間近に見ることができるのはやはり興奮する。

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船長室

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魚雷と隣接するベット

この狭い空間で長い間死と隣り合わせの生活をすることを想像すると息が詰まりそうではある。

 

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慰霊碑

外に出るとたくさんの名前が刻まれた慰霊碑が。

二次大戦において独ソ戦は特に苛烈を極め戦死者が多いことで有名ではあるが、名前が分かっているだけでもこれだけの犠牲者が連なっているのを見ると思わず息を飲む。

 

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革命広場

さて、少し移動してロシア革命の戦士を讃える像を従える革命広場へ。週末では市場が開くらしい。

鳩を体に乗せて写真を撮る中国人を見て

「中国人は鳩を食べちゃっていなくなっちゃったから、(鳩が珍しくて)ああやって写真を撮るんですね」

と言うガイドさん。そうなの?

 

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要塞博物館

次に向かったのは要塞博物館。極東の港町なだけあって軍関係の施設が多い。

 

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中には雑然と資料が展示されていた。

 

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開拓当初は国際的な都市で、日本が建てたセントラルホテルなどもあったらしい。

 

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Икона Казанской Божьей Матери - カザンの生神女のイコン

ロシア正教会では信仰の媒介としてイコンを重んじるようで、このカザンの生神女のイコンは中でも有名なものらしい。

 

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外にはこれでもかと言うほど戦車が鈴なりに野ざらしで展示されていた。

 

一部の区画では乗って動かすこともできる。Twitterに乗せた動画を貼っておく。

 

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お夕飯はСелёдка - ニシンの酢漬け とпельмени - ペリメニ(ロシア風水餃子)
どちらも元々大好きなロシア料理だけれど、黒いペリメニを見るのは初めて。黒いのはイカスミで、コクがありおいしかった。

 

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丸一日しっかり観光したにも関わらず、暮れなずむウラジオストクの街。

燦然と輝くロシア正教会の黄金は全て本物の金箔を使っているらしい。確かにどこもかしこも輝きが凄まじい。

この中心にそびえるのは現在建設中の新たな教会。

 

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この後はウラジオストク駅から念願のシベリア鉄道でハバロフスクへ向かいました。その続きはまた次の記事で。